Lord of OSANPO Master 〜三浦半島未踏破篇〜

連休中、三浦半島を凡そ半周した。
大凡、というのは、やはりというか当然というか... 足を痛めて継続できなかったから。懸念していたヒザは問題なかったのだけど、足の裏が炎症を起こし、痛みで歩き続けられなかった。しかも久里浜までしか踏破できなかった。できるだけ海岸沿いを歩くようにしたため、入江の入り組んだ地形に行く手を阻まれ、結構歩いた割りに距離が稼げなかったのである。三浦半島… 嘗めてました。サーセン。

『金沢八景〜田浦』
 朝から歩くつもりが寝過ごし、昼過ぎからスタート。日差しは強いものの、吹いているのはすっかり秋の風。若干の肌寒さを覚えながら歩き始めた。
R16を歩いていると海岸線から随分と離れたような気がしたので、追浜駅まで歩いたところで左折。日産自動車の研究所などがある工業団地に差し掛かったあたりで携帯の地図アプリ(今回、これがなかったら酷い目にあったに違いない)を立ち上げ、道を確認すると、そのままでは団地を一周するだけで横須賀に辿り着けないことが判明。途中で右に折れ再びR16へ向かう。と程なくトンネルを一つ潜ったのだが、三浦半島、本当にトンネルだらけ。恐らく人生で最も多くトンネルを潜った2日間であったに違いない。程なく、道が二またに分かれた場所にでる。そこは迷わず海側を目指したわけだが… 見事、米海軍施設に行き当たり行き止まり。仕方ないのでゲート前にあった神社を参って戻ろうとしたが、境内に巨大な鴉が数羽たむろしており、恐ろしくて近づけず断念。いや、ほんと、大きかったんだよ。その後、先程の米海軍施設に隣接した海上自衛隊の施設が在るのを知り、回り込むようにそちらを目指す。途中、横浜ベイスターズの練習グランドを脇目に施設のゲートは見つけたが、肝心の港湾施設が見えないのでR16へ引き返し、横須賀市街へ向けて歩き出す。すると直ぐそこの住宅地の奥にある公園越しに件の港湾施設が見えた。喜び勇んで公園に入るが、公園はR16より低い位置にあったため、公園の生け垣に阻まれ見ることができない。しょんぼり帰ろうとしたとき、公園の端に石碑を見つける。石碑には海自施設と公園の間を走るJR横須賀線が舞台となった芥川龍之介の「蜜柑」が刻まれていた。石碑のそばにはその事を解説した看板が立っていた。その内容は芥川龍之介の生涯についても言及しており、10年ぶりくらいに近代文学史に触れたw しかし、短編とは云え、全文を刻むのは難しいかも知れないが… (中略)とか、どうなの? 石碑として。

『異国情緒・横須賀』
 何だかんだとありつつ横須賀市街、ヴェルニー公園へたどり着く。そこからは、どうにか港湾施設を見ようと四苦八苦していたのがアホらしいほど明け透けに日米両方の港湾施設を一望できた。そこに辿り着くまでの苦労は何だったのかと途方に暮れつつ、公園を散策。米巡洋艦などを何枚か写真に納めつつ市街地へ。ドブ板通りから、横須賀駅の辺りを歩いたが… 行く先々で芳香剤の洗礼を喰らい、涙目で市街地をあとにする。あいつら、本質的にはやっぱり敵だ。その後、思い出したように海辺を目指す。何もない海岸通から猿島を望む海辺の公園へ至る。週末の午後を楽しむ家族連れや仲間と騒ぐ若人達、彼らみんなが興じているのがバーベキュー。というか、焼肉。ま、日本だし。そんな彼らの頭上には… 猛禽類。海辺ですが、海鳥ではなく猛禽類が旋回している。それも一羽や二羽ではなく数十羽。三浦半島周辺を歩くたびに思っていたけど、本当に沢山いる。それこそ都会の鴉のように。話を戻して、上空の彼らの狙いは人間がおもしろがって与える餌。人が地面へ放った肉をリオレウスの急降下攻撃の如き鋭さで銜え、上空へ持ち去る。やってる本人たちはキャッキャと楽しそうだったが、決して広くない広場に所狭しと賑わう人々と、その食べ物を狙い空を覆わんばかりに集まった猛禽の群の画は、終末の景色に見えた。くわばらくわばら。そんなアンニュイな気分も、水辺で波に呑まれ攫われそうになっていたブルテリアを見たら払拭された。ありがとう、不細工いぬ。
その後、夕暮れの海岸通をひたすら歩き、馬堀海岸駅まで歩いてその日は終了。最後に遊歩道で後ろを振り返ったときに横須賀市街のビルの合間に見えた富士山の綺麗なシルエットがとても印象的だった。



『馬堀海岸〜走水』
 2日目の開始地点。遊歩道から砂浜におり、磯に降りて波と戯れる。打ち上げられたクラゲと岩場に密集するフナムシとも一生涯分は戯れた。そのまま磯伝いに歩いて海岸を抜けようとしたが、落ちたら復帰不能なコンクリートの絶壁とテトラポット群に行き当たり、磯伝いを引き返す。R16に戻り、丘を一つ越えると走水港。走水といえば鯵らしいが、すでに昼食を済ませてしまっていたのでお預け。代わりに港を見下ろす位置にある走水神社を参る。祭神はヤマトタケルノミコトとオトタチバナヒメノミコト。古事記や日本書紀にあるヤマトタケル東征の折り、オトタチバナヒメが海神の怒りを鎮めるため海に身を投げたと伝えられるのが、この走水なのだとか。ヤマトタケルといえば魔空戦神が… という話は関係なく、純粋にヤマトタケルの物語が好きで参ったわけですが、東郷平八郎や乃木希典といった近代日本を代表する軍人たちがオトタチバナ萌であったことを伺わせる碑を見つけ「今も昔も軍人って奴らは…」と喜んでしまった。

『観音崎』
 R16を歩き走水を抜けると、ボードウォークが整備された海岸沿いの遊歩道がある。そこを通り再びR16へ戻り歩き出すと、程なく観音崎灯台に至る。東京湾を行き来する船に光を送り続けてきた水上交通の要所である。また近代日本においては首都防衛を目的とした要塞でもあった。話は変わって、地名である「観音崎」だが、先に記したヤマトタケルの物語と関わりがあるようだ。観音崎灯台は現在公園として整備されており、遊歩道を通って戦時の名残である砲台跡などを見ることができる。そんな遊歩道の崖の下を通るルート沿いに大きな洞穴がある。そこには辺りの海を荒らしていた大蛇が調伏され祀られている。またその祠には、荒れる海を鎮めるため、故事に習いオトタチバナヒメノミコトの顔が彫り込まれた十二面観音像が奉納されているという。大蛇=海神と考えられたのだろう。残念ながら洞穴の風化が激しく、崩落の危険から現在は祠には近づけないが、地名の由来となったのであろう観音像を一度拝んでみたかったと思う。拝むと云えば、先述の洞穴へ向かう遊歩道脇に由来一切不明の墓石群があった。無縁仏とのことだが、何時の頃からあるのか不明。付近に集落もなく、土左衛門でも埋葬していたのだろうか?

『浦賀』
 再びR16を進み、浦賀に到着。とかくドラマまみれの三浦半島の中でも、ここ浦賀はやはり別格。という話は日本史の授業を受けていればゆとりでも知っていることなので割愛する。浦賀では一つやっておきたいことがあった。それは「浦賀の渡し」で海を渡ること。浦賀の入江はとても長く、海沿いを歩くのは大変。そこで海の上をショートカットするのが浦賀の渡しである。江戸の頃から続いており、現在も片道\150で利用できる(自転車や大きい荷物は別料金)。
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by cor_leonis | 2009-09-24 17:42 | Feeling / Memorandum
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